高熱から始まった長旅の回復記録
こんにちは!
世界一周ひとり旅をしている、女子大生の世界まきです。
世界一周に出てから、本当に毎日が濃い。
思いもよらない人と出会い、予想もしていなかった出来事が起こり、そのたびに自分の感情が大きく揺さぶられます。
楽しいことも、嬉しいことも、怖いことも、苦しいことも。
日本で過ごしていたら、数か月かけて経験するような出来事が、旅先では毎日のように次々と起こります。
それでも私は、世界一周に出て本当によかったと思っています。
今回のジョージア旅は、華やかな観光から始まったわけではありません。
トルコで心身ともに疲れ果て、高熱を出した状態でジョージアへ移動したところから始まりました。
いつもの自分でいられなくなった時に、どうやって自分を立て直していくのか。
旅だけではなく、人生でも大切なのは、きっと一度も倒れないことではありません。
倒れてしまった後に、どうやってもう一度立ち上がっていくのか。
今回のジョージア旅は、そんな私の長旅の回復記録です。
高熱のまま、次の国へ向かった
ジョージアへ来る前、私はトルコにいました。
そこで、旅を始めてから経験したことのないほど、怖い出来事に遭いました。
いわゆる観光客を狙った詐欺です。
慣れない土地で、相手が何を考えているのかわからない。
どこまで事態が悪化するのかもわからない。
その場では必死だったので、自分でも気づいていませんでしたが、
体も心も長時間、強い緊張状態に置かれていました。
そして、その緊張の糸が切れたように、高熱を出しました。
ただでさえ起き上がるのもしんどい状態なのに、
翌朝の午前2時には起きて、予約通りのジョージア行きの飛行機に乗らなければなりませんでした。
頭は痛い。体は重い。心もまだ、トルコで起きたことに追いついていない。
そんな状態のまま、新しい国へ向かいました。
私はずっと、気を張り続けていた
世界一周に出てから、私はかなりハードなスケジュールで旅を続けていました。
毎日のように新しい場所へ行き、出会う人のほとんどは初対面。
人との出会いが好きな私にとって、それはとても刺激的で、幸せな時間でした。
でも、どれだけ素敵な人と出会っていても、旅先では完全に気を抜くことができません。
目の前の人は、信頼しても大丈夫な人なのか。
この道を歩いても安全なのか。
この誘いについて行ってもいいのか。
荷物は盗られないか。
何かが起きた時、自分の身を守れるのか。
どこへ行っても、最後に自分を守るのは自分です。
心から警戒を解ける家もなく、ずっと初対面の人と関わり続ける毎日。
知らないうちに私は、安心できる場所を持たないまま、ずっと気を張っていたのだと思います。
その状態でトルコの出来事が起こり、心と体の緊張が限界を超えてしまいました。
体調を崩して初めて、私は自分がどれほど疲れていたのかに気づきました。
もっと先へ進みたい。
限られた時間で、たくさんの国を見たい。
せっかく世界一周をしているのだから、一日も無駄にしたくない。
そんな気持ちで走り続けていました。
でも、長く旅を続けるためには、前へ進むことだけではなく、立ち止まることも必要です。
ここからは、少し旅のペースを落とそう。
誰かに会う予定を詰め込むのではなく、一人でゆっくり過ごす時間を作ろう。
心と体が追いつくのを、焦らずに待とう。
海外で風邪をひいたら、何を食べればいいのだろう
ジョージアでは、Airbnbに宿泊していました。
外へ食べに行く元気も、スーパーへ買い物に行く気力もありません。
そこで、Bolt Foodを使って食事を注文することにしました。
日本ではUber Eatsが主流ですが、ジョージアではBolt Foodをよく見かけます。
配送料も100円ほどで、体調が悪くて外へ出られない時には本当に助かりました。
ただ、海外で風邪をひくと困ることがあります。
何を食べればいいのかわからない。
日本にいたら、お粥やうどん、お味噌汁など、体調が悪い時に食べたいものがすぐに思い浮かびます。
でも海外では、お粥がどこで売られているのかもわからない。
自分で作ろうにも、材料を買いに行く元気も、料理をする気力もありません。
注文画面を眺めながら、私は悩みました。
風邪の時に食べられる料理って、本当に少ない。
最終的に、比較的体に優しそうなフォーを頼みました。
温かいスープを少しずつ飲みながら、
「明日は観光できるくらい、元気になっていますように」と思いました。
でも、翌朝6時に目を覚ましても、体はまだ重いままでした。
いつものように、すぐには元気になれない。
その事実を受け入れながら、私はもう一度眠ることにしました。
優しく、でも、きっぱり断れる人になりたい
ベッドの中で休みながら、トルコで起きたことを何度も考えました。
その中で私は自分自身の言動についても振り返っていました。
私は、はっきりと「NO」と言うことが苦手です。
相手が親切にしてくれているように見えるほど、断りづらくなってしまいます。
せっかく声をかけてくれたのに。
悪い人ではないかもしれないのに。
断ったら、相手を傷つけてしまうかもしれない。
そう考えて、曖昧に笑ってしまうことがあります。
旅をしていると、本当にたくさんの人に優しくしてもらいます。
見知らぬ人に道を教えてもらったり、ごはんをごちそうしてもらったり、家族のように迎えてもらったり。
そんな経験を重ねてきたからこそ、私は人を信じたいと思っています。
相手の善意を疑いたくない。
人の優しさを、まっすぐ受け取りたい。
でも、誰かを信じることと、すべてを受け入れることは違います。
「ありがとう。でも、今は一人でいたいです」
「声をかけてくれて嬉しいです。でも、大丈夫です」
相手の優しさを否定しなくても、自分に必要な距離を選ぶことはできます。
むしろ、内心では嫌だと思っているのに、
笑顔で受け入れ続ける方が、相手に対しても誠実ではないのかもしれません。
相手は善意でしてくれているのに、私は心の中で苦しくなっている。
それなら最初から、優しく、でも、きっぱりと伝えた方がいい。
断ることは、相手を拒絶することではありません。
自分と相手の間に、正直な境界線を引くこと そう捉え直すことにしました。
それは、自分のためでもあり、相手のためでもある。
私はこの旅で、人に優しくする力だけではなく、自分を守るために断る勇気も育てていきたいと思いました。
すっぴん、パジャマのまま外へ出た
もう一度少し眠り、朝の9時頃に再び目を覚ますと、顔色が少しずつ戻ってきていました。
まだ体は重かったのですが、
「病は気からともいうし、少し外の空気を吸えば気分も変わるかもしれない」
と思い、朝ごはんを食べに行くことにしました。
ただ、一つ問題がありました。
着ていた服をまとめて洗濯してしまい、手元にある服がパジャマしかありませんでした。
ということで、すっぴん、パジャマのまま外へ。
日本にいたら、人の目が気になって絶対にできなかったかもしれません。
でも海外にいると、周りの視線を日本ほど気にせずにいられます。
誰も私のことを知らない。
私がパジャマを着ているかどうかなんて、きっと誰も気にしていない。
少し恥ずかしいけれど、なんだか気楽でした。
朝から開いているカフェに入ると、猫がいました。
緑に囲まれたテラス席があり、どこかヨーロッパらしい、温かくて落ち着く雰囲気のお店でした。
ミルクシェイクと卵料理を注文し、ゆっくりと食べました。
体調を崩してから、久しぶりに外で食べるごはん。
まだ完全に元気ではなかったけれど、
外へ出て、光を浴び、温かい料理を食べていると、少しずつ自分が戻ってくるのを感じました。
怖かったはずの私は、動画の中で笑っていた
カフェで食事をしながら、トルコで撮影した動画を見返しました。
詐欺に遭った日の映像です。
あれほど怖かったはずなのに、動画の中の私は笑っていました。
無理やり作ったような笑顔ではなく、比較的自然な笑顔でした。
「私って、こんなにも心の中の感情を隠せるんだ」そう思いました。
その時、夏目漱石の『虞美人草』に出てくる、私の好きな言葉を思い出しました。
愛嬌というのはね、自分より強いものを斃(たお)す柔らかい武器だよ
私はこの言葉が好きです。
もしかしたら私は、怖い時ほど笑うことで、自分を守ろうとしていたのかもしれません。
相手に恐怖を悟らせない。
敵意を見せず、相手を刺激しない。
笑顔を見せることで、相手に警戒させない。
それは、私が無意識に身につけた防御反応だったのかもしれません。
笑顔や愛嬌は、確かに柔らかい武器です。
相手の怒りを和らげたり、危険な状況から抜け出すきっかけになったりすることもあります。
でも同時に、笑顔だけでは伝わらないこともあります。
笑顔は時に、「受け入れている」と誤解されることもあります。
特に海外となれば尚更です。
だから私は、笑顔という柔らかい武器だけではなく、
「NO」と言葉にする強さも持たなければならないのだと思いました。
愛嬌によって相手を警戒させないことと、自分の境界線を曖昧にすることは違う。
疑いたくない。それでも人を信じたい
トルコで詐欺に遭った時、私を助けてくれた人がいました。
私とは何の関係もない、通りすがりの人です。
その人は、私が騙されているかもしれないと気づき、わざわざ足を止めてくれました。
状況を確認し、私以上に怒り、詐欺師に立ち向かってくれました。
どうして、見ず知らずの私のために、あれほど真剣になってくれたのだろう。
スルーすることもできたはずです。
見て見ぬふりをした方が、ずっと楽だったはずです。
それでもその人は、私を助けることを選んでくれました。
詐欺が続いていた私は、最初、その親切な人のことさえ疑ってしまいました。
この人も、私を騙そうとしているのではないか。
そう思ってしまった自分が、後からとても悲しくなりました。
本当に助けようとしてくれていた人を疑ってしまったことに、申し訳なさを感じました。
もちろん、旅では警戒心が必要です。
簡単に人を信じたことで、身の危険につながる可能性もあります。
でも、だからといって、出会う人全員を疑いながら生きるのも苦しい。
世界には、誰かの弱さにつけ込む人もいます。
その一方で、何の見返りも求めず、見知らぬ人を助けようとする人もいます。
悪い経験をしたからといって、世界中の人を同じものとして見ることはできません。
私は、これからも人を信じたいです。
簡単にすべてを任せるという意味ではありません。
自分の感覚を無視しない。
違和感があれば距離を取る。
嫌な時には、はっきり断る。
そのうえで、それでも差し出された優しさを受け取れる人でいたい。
人を信じるためにも、自分を守れる人になりたい。
それが、この時の私なりの答えでした。
旅先での出会いは、本当に一度きりなのだろうか
カフェにいると、シンガポール人の友達から連絡が届きました。
ネパールへ向かう飛行機で、搭乗口で後にいたってだけで仲良くなった人です。
これからトルコへ行き、その後はジョージアに3週間滞在する予定だといいます。
「また会えるかもしれないじゃん!」思わず嬉しくなりました。
旅をしていると、こういうことが何度も起こります。
一度きりの出会いだと思っていた人と、別の国で再会する。
偶然、近くにいることがわかる。
もう二度と会わないと思っていた人と、何かの縁で人生が再び交差する。
街ですれ違う人も、その瞬間だけの関係に見えます。
でも、本当にそうなのでしょうか。
日本の街ですれ違った人とも、気づかないうちに何度も同じ場所ですれ違っているかもしれません。
今日、見知らぬ人として出会った誰かが、何年後かに自分の人生を大きく動かす存在になるかもしれない。
そう考えると、出会いはとても不思議です。
「どうせもう会わないから」と、目の前の人を雑に扱いたくない。
たった一度の親切が、誰かの人生を救うこともある。
トルコで私を助けてくれた人のように、見知らぬ人に差し出した優しさが、その人の心にずっと残ることもあります。
だから私も、街ですれ違う人に優しくありたいと思いました。
一人旅は、自分の波長で人と出会う旅
友達とする旅行と、一人でする旅は、少し違います。
友達との旅行では、一緒に景色を見たり、おいしいものを食べたりしながら、その友達との思い出が増えていきます。
それは、とても幸せなことです。
一方で一人旅は、自分一人の状態で世界と向き合います。
どこへ行くのか。
誰と話すのか。
どの誘いを受け、どこで距離を置くのか。
すべてを、自分の感覚で選びます。
だからこそ一人旅では、自分の波長で人と出会っているという感覚があります。
今の自分に必要な人が、不思議なタイミングで現れる。
出会う人、出会う人に感性を揺さぶられ、一人との出会いによって心が大きく動く。
もちろん、いい出会いばかりではありません。
人を信じることの怖さも知りました。
でも同時に、人の優しさに救われる瞬間も何度も経験しました。
この両方を知ることができたからこそ、私は世界一周に出てよかったと思います。
少しずつ、街を見る余裕が戻ってきた
食事を取り、休息を重ねるうちに、少しずつ歩ける距離が伸びていきました。
自分の体調だけでいっぱいだった視界に、ようやくジョージアの街が入ってくるようになりました。
ジョージアには、かわいらしいコーヒーショップがたくさんあります。
街にはベンツやBMWなど、日本では高級車として見かける車がずらりと並んでいました。
でも、日本のようにきれいに洗車された車ばかりではなく、土埃をかぶったまま走っている車も多い。
そんな光景にも、その土地らしさを感じました。
ある時、花を売っている女性にも出会いました。
スーパーへ入る前に花を勧められ、私は一度断りました。
すると、その女性はスーパーの中にまで入ってきて、もう一度私に花を勧めました。
少し驚きながらも、私は考えました。
道端で花を並べて待っているだけでは、もともと花を買おうと思っていない人は、なかなか買ってくれない。
だから、自分から人のところへ行かなければならない。
きっと、こうやって必死に売らなければ、生活していけない事情もあるのだと思います。
でも、強く押されると、相手はさらに買いたくなくなってしまうこともある。
どうすれば、人に嫌な思いをさせずに、「買いたい」と思ってもらえるのだろう。
旅をしていると、目の前の光景から、思いがけず仕事や生き方について考えることがあります。
少しずつ周りを見渡し、そんなことを考えられるようになったこと自体が、私にとって回復の証拠でした。
日本のパスポートを持っているということ
旅先では、外国の人から不思議そうに聞かれることがありました。
「日本人は、どうしてあまり海外旅行をしないの?」
日本のパスポートは、世界でも非常に多くの国や地域へ、ビザなしで渡航できる強いパスポートです。
でも、日本人のパスポート保有率は決して高くありません。
インドやネパールで出会った人たちの中には、日本へ行きたくても、簡単には行けない人がいました。
お金を必死に貯めたとしても観光ビザを取ることさえ難しい。
日本へ行くために日本語を勉強し、試験を受け、留学や仕事につながるビザを取ろうとしている人もいました。
それでも試験に落ちてしまい、日本へ行く夢がかなわなかったと話してくれた人もいます。
行きたいのに、行けない人がいる。
それに対して私たち日本人は、行こうと思えば、多くの国へ行くことができます。
でも世界へ出て初めて、それが決して当たり前ではないことに気づきました。
世界を旅できる自由を持っていること。
日本のパスポートを持って生まれたこと。
それは、とても恵まれていることなのだと思います。
だからこそ、その自由をただ持っているだけではなく、実際に使って世界を見ることができてよかった。
自分が見たものや感じたことを、旅に出られない人にも伝えていきたい。
そんなことも思いました。
食べることで、体に力が戻ってきた
ジョージアに着いたばかりの頃は、少し食べるだけでも精いっぱいでした。
それでも、少しずつ食事の量を増やしていきました。
食べられる時に、食べられるものを食べる。疲れたら休む。
少し元気が出たら外へ出て、またしんどくなったら宿へ戻る。
自分の体と相談しながら過ごしました。
食事を取るたびに、体の中へ少しずつ力が戻ってくる感覚がありました。
やっぱり、食べることは生きる活力になります。
何かを食べるたびに、体の中にもう一度エネルギーが満たされていく。
歩ける距離が伸び、街を見渡す余裕も生まれました。
けれど、体が元気になっただけでは、まだ完全に回復したとは思えませんでした。
トルコで感じた恐怖や、人を疑ってしまう感覚は、心の中に残っていました。
そんな私の心を最後まで回復させてくれたのは、人の温かさでした。
画面の向こう側から届いた応援
体調を崩している間も、YouTubeにはコメントが届いていました。
私の旅を見守ってくれている人。
動画を楽しみに待ってくれている人。
体調を心配してくれる人。
皆さんからの言葉を、一つひとつ読みました。
日本から、そして世界のさまざまな場所から、私の旅を見守ってくれている人たちがいる。
コメントを読むたびに、
「また少し元気になって、この旅の続きを届けたい」と思えました。
子どもたちのハグがくれた、一番大きな力
体も回復して一日中散策できるほど元気になった頃、ジョージアの街で、小学生くらいの子どもたちに囲まれました。
突然、たくさんの子どもたちが私のもとへ集まってきました。
日本から一人で旅している私に興味津々そうにいろんなことを質問してくれます。
そして、別れ際にハグを求めてくれました。
一人とハグをすると、また一人。その次も、また一人。
気づけば、たくさんの子どもたちとハグをしていました。
言葉が完全に通じていたわけではありません。
それでも、子どもたちの笑顔や体温から、まっすぐなエネルギーが伝わってきました。
ただ笑い合い、抱きしめ合うだけで、心の奥に残っていた冷たいものが溶けていくようでした。
人の体温に、救われることもある。
警戒心によって守られる命がある一方で、誰かの優しさを受け取ることで回復する心もあります。
あのハグは、ジョージアで過ごした時間の中で、私が一番大きなパワーをもらった瞬間でした。
街角の猫に会うたび、少し元気になる
ジョージアの街を歩いていると、かわいらしい猫たちに何度も出会いました。
道端で眠っている猫。
お店の前に座っている猫。
こちらをじっと見つめてくる猫。
カフェのテラス席で、お客さんの食べ残したご飯を食べている猫。
猫を見つけるたびに、私は嬉しくなりました。
少し立ち止まり、近づいて、話しかける。
猫がこちらを見てくれただけで、なんだか今日はいい日だと思える。
体調を崩している時は、自分のしんどさだけで世界がいっぱいになっていました。
でも、少しずつ元気になるにつれて、街の中にいる猫や、木々の緑、人の表情に気づけるようになりました。
世界はずっとそこにあったのに、私にはそれを見る余裕がなかったのだと思います。
回復するということは、体から痛みがなくなることだけではありません。
自分以外の存在に、心を向けられるようになること。
小さなかわいらしさに気づき、嬉しいと思えること。
トビリシ植物園で見つけた、日本の庭園
少しずつ観光ができるようになり、トビリシ植物園へ行きました。
植物園の中を歩いていると、思いがけず日本庭園を見つけました。
遠く離れたジョージアの地で、日本を感じる場所に出会う。
万博とのつながりを持つ庭園だと知り、さらに不思議な気持ちになりました。
(ちょうど、日本の万博には訪問できないから。)
世界一周をしていると、日本から遠く離れた場所で、突然日本に出会うことがあります。
日本語を見つけたり、日本食を見つけたり、日本を知っている人に話しかけられたり。
普段、日本に住んでいる時には意識しなかったのに、外国に出て初めて、
日本という国が自分の大切な一部なのだと気づかされます。
日本庭園を眺めながら、少しだけ家に帰ってきたような安心感がありました。
そして、そこでもまた、一人の人が私に話しかけてくれました。
旅の話をしていると、その人は、「ドイツへ来たら案内するよ」と言ってくれました。
その時は、植物園で偶然出会っただけの人です。
この先、本当に再会するかどうかはわかりません。
それでも、旅では、こんな何気ない会話が次の国へつながっていきます。
見知らぬ人だった相手が、未来の旅先で再会する友人になるかもしれない。
この先どこへ向かうのか、誰と出会うのか。
自分でもわからないからこそ、旅は面白いのだと思います。
目覚めると、街がマジックアワーに包まれていた
ムタツミンダ公園へ行った日、私は少し疲れてしまい、ハンモックで休むことにしました。
旅を始めたばかりの頃の私なら、
「せっかくここまで来たのだから、もっと見なきゃ」と思っていたかもしれません。
写真を撮り、歩き回り、少しでも多くの景色を見ようとしていたと思います。
でも、この頃には、疲れた時に休むことを選べるようになっていました。
ハンモックに横になり、木々の間を通り抜ける風を感じながら、少し眠りました。
そして目を覚ますと、空の色が変わっていました。
太陽が沈み、昼と夜の間にだけ現れる、マジックアワー。
眼下にはトビリシの街が広がり、少しずつ街の明かりが灯り始めていました。
狙っていたわけではありません。
何時に起きようと決めていたわけでもありません。
ただ、疲れたから休んだ。
そして目を覚ますと、一番美しい時間が目の前にありました。
その景色を見ながら、
休むことは、何かを逃すことではないのとと思いました。
立ち止まったからこそ、見られる景色がある。
眠ったからこそ、目覚めた時に出会える感動の瞬間がある。
すべてを自分でコントロールしようとしなくても、その時の自分に必要な場所へ、たどり着くことがあります。
高熱の状態でジョージアに到着した時には、こんな景色を眺められる日が来るとは思っていませんでした。
マジックアワーから夜景へと変わっていくトビリシの街を見下ろしながら、
心の中に残っていた緊張が、ようやくすべてほどけていくのを感じました。
私を回復させたのは、食事と睡眠だけではなかった
ジョージアでの回復を振り返ると、最初に私を助けてくれたのは、食事と睡眠でした。
温かいものを食べる。水分を取る。疲れたら眠る。
それによって、体は少しずつ回復しました。
でも、最後に私を完全に元気にしてくれたのは、人や動物、街から受け取った温かさでした。
YouTubeを通して応援してくれた人たちの言葉。
抱きしめてくれた子どもたちの体温。
街角で出会った猫たち。
植物園で偶然話しかけてくれた人。
ハンモックで目覚めた先に広がっていた、マジックアワーのトビリシ。
その一つひとつが、旅で傷ついていた私の心に、少しずつ元気を戻してくれました。
体の回復には、食事と休息が必要です。
でも人間、心の回復には、自分以外の存在から受け取る温かさも必要なのだと思います。
人を信じることを、やめなくてよかった
人を信じることで、傷つくことはあります。
でも、人を信じることによってしか受け取れない優しさもあります。
すべての人を、無条件に信じる必要はありません。
違和感があれば、離れていい。
一人になりたければ、断っていい。
自分を守るための線を引いていい。
それでも、その線の外から差し出された本物の優しさには、心を開いていたいと思います。
『自分を守ることと、人を信じること。』
その二つは、どちらか一方を選ぶものではありません。
自分を守れるからこそ、安心して人を信じられる。
回復とは、もう一度、世界を好きになること
気づけば私は、また世界を美しいものと見渡せるようになっていました。
街をかわいいと思い、人との出会いを嬉しいと思い、夕暮れの景色に心を動かされていました。
回復するということは、ただ熱が下がることではないのかもしれません。
自分の内側だけに向いていた心が、もう一度、外の世界へ開いていくこと。
小さな優しさに気づけること。
誰かの笑顔を嬉しいと思えること。
目の前に広がる景色を、きれいだと感じられること。
そして、いろいろなことがあったこの世界を、もう一度好きになれること。
それが、私にとっての本当の回復でした。
ジョージアは、私が世界一周の途中で立ち止まり、自分の旅の仕方を見直した場所です。
同時に、人の温かさを受け取りながら、もう一度、旅と世界を好きになった場所でもあります。
人を信じたいという気持ちは、そのままに。
その優しさを失わないためにも、まずは自分自身を守れる人になりたい。
ジョージアの街で、たくさんの温かさに包まれながら、私は少しだけ新しい旅の仕方を見つけました。
世界まき より

