第三次世界大戦? – 怖さが増幅する時代にどう生きる?

最近、世界が毎日、劇的に変化している。

朝起きてスマホを開くたびに、昨日までの空気がもう古いみたいに、次々と大きな報道が更新されていく。
戦争、政治の駆け引き、社会を揺らす事件――
「裏がある」「操作されている」「落ち着く暇がない」という感覚が、ここ数日ずっと続いている。

その中で私が一番引っかかったのは
「真実を公開すること=正義」と簡単に言い切れない現実だった。

報道では、エプスタイン文書の公開をめぐって、被害者のプライバシーを守るためのはずの黒塗りが不十分で、被害者とされる人の身元が露出してしまったという指摘が出ている。名前や個人情報に触れる形で、当事者の生活が揺さぶられた――そんな内容まで伝えられていて、私は胸が痛くなった。

“明らかにする”という行為が、誰かを救うこともあれば、
罪のない別の誰かをもう一度傷つけることもある。
私はその矛盾に、ショックを受けた。

さらに、公開は一度に終わらず「段階的に出していく」という形が続いている。
公式には、量が膨大で、個人情報の編集(黒塗り)にも時間がかかるため、という説明がある。

でも一方でSNSでは、「小出しは人々を慣れさせるための心理だ」と言う人もいる。
確かに、人は強い刺激が繰り返されると反応が鈍くなる――心理学ではそれを“慣れ(habituation)”として説明する。だからこそ私は、そういう言葉に触れるたびに、
ますます「何が本当で、どこからが解釈なのか」が分からなくなっていった。

SNSには助けを求める声が流れてくる。偏った切り抜きも流れてくる。
「国民の不安を煽ってヒーローを演じる人が出てくる、全て計画の一部だ」と言う人もいる。

情報の渦の中では、怖さがさらに増幅していく。
現実そのものが怖いのに、“情報の見え方”がさらに怖さを上乗せしてくる感覚がある。

だから私は、ひとつ決めた。自分の心を守りながら、必要な事実だけを見失わないこと。
世界を全部理解できなくても、情報に飲まれて自分を壊さないこと。


目次

真実って、本当に善なのかな?

「本当のことを知りたい」と願うのは、人間の本能だと思う。
だけど同時に、それはエゴでもあるんじゃないかって。
だって、全部知ったら救われるのか?
全部知ったら、世界は良くなるのか?
むしろ、知ったことで誰かが傷ついたり、
守られるべき人が守られなかったり、逆に犠牲が増える可能性だってある。

それなのに、私たちは“真実の公開”を「正義」にしがちで。
何も知らないのは悪で、知ろうとするのは善で。その二択みたいな空気が、たまに怖い。

「全部明らかにすること」が正義だと信じたい自分と、
「全部明らかにしたら、誰かが二次被害を受けるかもしれない」と想像してしまう自分が、
同じ場所でぶつかり合って、身動きが取れなくなる。
しかも、知れば知るほど、裏があるように見える。
誰かが誰かを守っているのか、誰かが誰かを消しているのか。
どこまでが事実でどこからが解釈なのか。
そうやって考え始めた瞬間に、私は「世界を信じる力」を少しずつ削られていく感覚がありました。

人間不信、って言葉を使うのは簡単だけど、たぶんそれだけじゃない。
“希望が擦り減っていく感覚”に近い。
世界が、どこかで全部つながっていて、誰かの都合で動いていて、
自分はそれに翻弄されるだけなんじゃないか、みたいな無力感。

でも、同時に思うんです。

政治のこと、社会のこと、起きていることに目を向けるのは大事だって。
見ないふりをすることで守れる平穏があるのも事実だけど、見ないままでは、誰かの痛みに気づけない。
だから、私はできるだけ知ろうとしてきた。…なのに、知ろうとすると苦しくなる。
「知りたい」と「知りたくない」が同じ心の中に同居して、引っ張り合って、疲れてしまう。

ここで、ふと思い出したことがありました。

私は旅をして、世界を見てきた人間で。
世界は綺麗なものだけじゃないって、もう知っているはずなのに。
それでも最近の私は、ニュースの“闇”に触れた瞬間、
「世界ってこんなに怖かったっけ?」って、子どもみたいに怯えていました。

だから、今日はこの気持ちを、ちゃんと書き残しておこうと思います。
これは、事件の真偽を断定するための文章じゃなくて、私自身の心の扱い方の記録です。


真実は、光にもなるし、刃にもなる。
公表されることで救われる人がいる一方で、名前が出ることで人生が壊れる人もいる。
そして世の中には、「正しい公開」と「乱暴な暴露」の間に、ものすごく長いグラデーションがある。

それなのに、私たちは「全部出せ!」と叫びやすい。
怒りがあると、なおさら。
でも、私が怖いのは、“正義の名のもとに、守るべきものまで燃やしてしまうこと”なんです。
誰かを守りたい。でも、何が守ることなのか分からない。だから揺れる。

そしてもう一つ。ニュースを追い続けるとき、
私はいつの間にか「世界を救う責任」を背負い始めていることにも気づきました。
本当は、私は一人の人間で、できることは限られているのに。
画面の中の巨大な悪に対して、怒って、悲しんで、考え続けて、心だけが消耗していく。

ここで、私は自分に問い直しました。

「私は、何のために知るんだろう?」って。

知ることが目的になった瞬間、私は壊れやすくなる。
でも、知ったことを“自分の価値観”に戻して、“行動”に落とせたとき、情報はちゃんと意味を持つ。
逆に言えば、行動に落ちない情報は、私の心を削るだけになりやすい。

ニュースに飲まれないために、私が作った“距離のルール”

だから私は、ニュースとの距離に“ルール”を作ることにしました。
意志の強さで戦うんじゃなくて、仕組みで自分を守るために。

・ニュースは朝と夜、1日2回まで
・情報源に偏りがないか
・見た後は、深呼吸する、散歩する、温かいものを飲む
・「今の私が責任を持てない情報」は、深追いしない

これだけで世界が良くなるわけじゃない。
でも、少なくとも“私の心”が壊れないようにする。
私が壊れたら、私が大事にしたい人も守れなくなるから。

ここまで書いて、私はやっと、旅の記憶と繋がりました。

旅をしていると、善と悪は、いつも同じ場所にありました。
優しい人の隣に、ずるい人もいる。
「ここは天国じゃないから」

それでも私が旅が大好きなのは、世界が“誰かのあたたかさ”で満ちていたからです。

だから私は思うんです。

世界平和を願いながら、じゃあ私は「誰を幸せにできるんだろう」って。
世界を全部変えるのは無理でも、世界の中の“自分の半径数メートル”なら、少しだけ変えられる。

今の私ができることは、全部を暴くことじゃない。全部を理解することでもない。
情報に飲まれずに、自分を守りながら、必要なことに目を向け続けること。

そして、私が出会った優しさを、次の誰かに渡すこと。

真実を知りたい気持ちには、きっとエゴも混ざっている。
でもそれだけじゃない。
「誰かを守りたい」「同じ悲しみを繰り返したくない」――その願いも、そこにある。
だから、世界を知ることを諦めるべきではない。
でも、自分を壊すほど追いかけてはいけない。

ニュースに心が削れた日は、「世界は怖い」で終わらせずに。
旅で出会った優しさの記憶を、ちゃんと呼び戻す。

もし同じようにニュースで苦しくなっている人がいたら、あなたが弱いんじゃない。
あなたの心が、ちゃんと人の痛みに反応しているだけ。
私はそれを、素敵なことだと思います。

でも、どうか忘れないでほしい。

まずは自分を幸せにしてあげてください。
誰かの悲しみに共鳴できる人ほど、簡単に削られてしまう。

だから、ニュースで悲しむ人と“同じように”あなたまで不幸にならないで。
あなたがあなたの生活を守って、眠って、笑って、息を整えていることも、立派な優しさです。

世界まき

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